介護職が知っておいて欲しいこと

重い認知症で生涯を終えたイギリスの老婦人の遺品の中から見つかった一遍の詩

私は20年ほど介護のお仕事につかせていただいております。その経験の中の1つを今回お話したいと思います。
これは、介護のお仕事を続けてきた私にとって、とても影響があった一遍の詩です。

重い認知症で生涯を終えたイギリスの老婦人(ヨークシャー・アシュルティ病院)の遺品の中から見つかった一遍の詩です。

「何が見えるの、看護婦さん、あなたに何が見えるの
 あなたが私を見るとき、こう思っているでしょう。

 気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく、目もうつろにさまよわせて食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない。

あなたが大声で『お願いだからやってみて』と言っても、あなたのしていることに気付かないようで、いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる、おもしろいのかおもしろくないのかあなたの言いなりになっている、長い一日を埋めるためにお風呂をつかったり食事をしたり……
これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか。

でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私が見えていないのですよ、私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が、あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、あなたの意思で食べているこの私がだれなのか。

 私は十歳の子供でした。

 父がいて、母がいて兄弟姉妹がいて、みなお互いに愛し合っていました。

 十六歳の少女は足に羽をつけて、もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。

 二十歳でもう花嫁。私の心は躍っていました。守ると約束した誓いを胸に刻んで二十五歳で私は子供を生みました。その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。

 三十歳、子供はみるみる大きくなる 永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて。

 四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった。でも夫はそばにいて、私を悲しませないように見守ってくれました。

 五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました 私の愛する夫と私は再び子供に会ったのです。

 暗い日々が訪れました。夫が死んだのです。夫のことを考え、不安で震えました。息子たちはみな自分の子供を育てている最中でしたから。

それで私は、過ごしてきた歳月と愛のことを考えました。いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です。

 老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ かつて心があったところには今では石ころがあるだけ でもこの古ぼけた肉体の残骸にもまだ少女が住んでいて 何度も何度も私の使い古しの心をふくらませます。

 私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す そして人生をもう一度愛して生き直す。

 年月はあまりにも短すぎ、あまりにも早く過ぎてしまったと思うの。そして何者も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。

だから目を開けてよ、看護婦さん 目を開けてください。

 気むずかしいおばあさんではなくて、『私』をもっとよく見て!」


重 度認知症の方との関わりはとても壮絶です。言葉が通じない・伝えても理解できない・周りが問題となる行動をしてしまう・・・があります。よく聞かれる高齢 者虐待の要因の1つに、そんな高齢者の行動に対して、そこに携わる人間が自分をコントロールできなくて虐待へとつながってしまうことも考えられると思いま す。

でもどんな高齢者や認知症の方々に対しても、介護職は尊敬や敬愛の気持ちを忘れずに関わるべきです。
なぜか・・・みんな輝いていた時代があり家族や社会のために一生懸命働いてきた人たちで、そんな先輩方がつくりあげてきた世界の上で私達は生活させていただいているからです。
老化により、腰が曲がるのも、足が弱くなっていくのも・・・それだけたくさん使っってきたからなんです。

みんな1人の人間で個性があるんです。

私は今まで教育してきた後輩たちへそう伝えてきました。


「ここからは、私個人の考え方です。」
重度認知症の人は、何もわからないような人もいるけれど、実は全部理解しているのではないか。理解しているのに、それを表現することができないだけではないのか・・・なら、その人は幸福なはずの余生に不快な思いや苦痛を感じつつ生活しているのかも・・・。
私は、高齢者が充実した余生を過ごしていただきたいし、不快な思いや苦痛を抱えて人生を終えて欲しくはない。
人の脳って数%しか活用されていませんし、完全には解明されていないことを考えると・・・・こんな考えがあってもいいのかなぁって思います。